FILE1~3FILE1 昭和49年ドラ優勝の思い出FILE2 ドラゴンズとの出会い FILE3 昭和57年ドラ優勝の思い出 【FILE1 昭和49年ドラ優勝の思い出】 優勝の味を知らなかった私が始めて歓喜の気分を味わったのはもう30年近く前の昭和49年。与那嶺監督のもと、巨人の10連覇を阻止した、又長島の引退の年でした。 思い出すのは、6月28日の中日球場での阪神戦。 ラジオ中継を聞いていたのですが8回あたりで3点負けてて、面白くないのでラジオを消した。ソレデモひょっとしたら…とやっぱり気になって又ラジオを付けてしまう野球ファンの性。 するとラジオをつけた瞬間 『♯♪☆☆*?&うを―ん%$$★★#””♪』 アナウンサーは、なんて言ってるかわからない。 聞こえるのは悲鳴のような叫びのような音だけだ。 ラジオが壊れたのかと思ったら、その後聞こえてきたのが 『ぎ・ゃ・く・て・ん・だー! サ・ヨ・ナ・ラ・だー! 奇跡かこれは! 高木守道やった―!! 逆転サヨナラ スリーラン・ホームラン!!』 なんと9回裏土壇場からウイリアムズの二塁打に続き 高木が劇的な逆転本塁打が出たのでした。 自分ではこの試合がドラを優勝に導く試合だった思ったものですから、以来毎年6月28日はこれを思い出します。今日は良い日だと。今日なら何事も最終的には良いことがあるぞ!と。 【FILE2 ドラゴンズとの出会い】 私はかなりのドラゴンズファンだったと思う.アンチジャイアンツでもあった。この地区名古屋に生まれれば当然と言えば当然。 最初の野球の記憶は9歳くらいかな。TVで野球中継を親と見ていた。巨人、中日とか球団名くらいしか知らなかったので父に 『僕巨人ファンになろうかな』 と言ったら怒られた日だった気がするなあ。 名古屋に住んでるんだから中日を応援しろと。 見てたカードは中日VS巨人。当時TVは巨人戦くらいしか放送が無かった。 中日が2点負けていて確か8回裏に代打で逆転3ランを打った江藤慎一が印象に強く残っています。 確か江藤は怪我で代打しか出場できない状態だったはず。気合が入った本塁打で、ノッシノッシとホームに帰る姿が焼き付いています。 それ以来私はドラゴンズの虜になってしまったのでした。 中日スポーツの野球記事は隅から隅まで見る小学生になったのでした。 しかしそのころの記憶ではドラが負けて悔しいとか、 あまりドラの良い思い出が少なかったなあ。 【FILE3 昭和57年ドラ優勝の思い出】 この年はいわゆる野武士軍団で個性的なメンバーがいましたね。 監督の近藤貞夫を始め、小松、都、孝政、宇野、中尾、… 1試合選べといわれればやはり、あの伝説の9月28日の試合。 やはりあいては巨人、投げるは当時絶好調の江川でドラはカモだったのです。 9回裏まで2:6と4点差で負けていて、最初はTVを見ていたが初回に3点入れられ『もう江川だし駄目だわ』と、部屋に戻っていたのですが、やっぱり途中で気になりラジオをつけた。 9回裏は怒涛の攻撃”江川キラー”豊田から始まり、打つは打つはモッカ、谷沢と続き、大島の犠牲フライの後、宇野、中尾の連打でついに同点! 10回裏は先頭の木俣がエラーで出塁、江川降板し、最後は大島がセンター前にサヨナラヒット!! アナウンサーが『やはりナゴヤ球場には魔物がいる』って絶叫してましたっけ。 私もこの興奮を何かに残そうと日記に事細かに書いた記憶がある。あれはどこに仕舞ってあるのかな? |